脊髄損傷した経緯について【№3】~過酷なリハビリ入院生活から退院まで~

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プロフィール

皆様こんにちは!

脊髄損傷パパことジョーカーです!

ジョーカー
ジョーカー

今日は前回の脊髄損傷した経緯№2の続きを話しするで~!

内容としては転院後から退院まで語らしてもらうわな~!

クイーン
クイーン

は~い!退院までってことはこれで経緯については最後なん?

ジョーカー
ジョーカー

せやな~!今回でとりあえず俺が脊髄損傷して身体障がい者になった経緯は終わりやな!

ほんなら最後まで付き合ってな~!

№3では転院後のリハビリから退院までをお伝えします。

※№1、№2をお読みでない方は先にこちらをお読みいただけると話が繋がります。

看護師と衝突

 関西の病院へ転院後初日に早速担当看護師と喧嘩になりました。

今振り返ると私も大人げなかったと少し反省しております。

喧嘩の理由は携帯電話を病室で使用したことでした。

病室に到着後私がベッドで携帯電話(※当時はガラケー)で家族や友人に帰ってきた事をメールで伝えてました。

すると看護師がすぐさま「病室での携帯電話使用は禁止なので、使用するなら面会室でおねがいします。」と言いその言葉に私は苛立ち「身体が自由に動いて、自分1人で歩いて行けるなら行く。でも胸から下は全く動かんねん。それでも使用禁止って言うんですか?じゃあ身体交換してくれよ…」って反論しました。 本当に子供でしたね。(看護師さん本当にすみませんでした。)

身体が自由に動かない苛立ち、携帯を何とか触れるようになりネットで「脊髄損傷」について調べても 出てくるのは下記のような私には絶望しかない情報のみ

・一度傷ついた脊髄の神経は治らない。

・歩くことはできない。

・一生車いす生活で介助が必要  etc.

理学療法士との出会い

自分の感情とは別に本格的にリハビリが始まりました。

初日はPT(理学療法士)とOT(作業療法士)の先生方と面談しリハビリの計画をざっくり教えていただきました。

最初は車いすに長時間座ることから始まり、最終的には車椅子での日常を送れるようにし、社会復帰を目指す。

やはり歩く訓練は入っていない…しかし、PTの先生との出会いが奇跡を生むとは全く思いもしませんでした。

数日経ち車椅子にも長時間座れるようになりましたが、やはり動かない身体へのもどかしさからPTの先生へ思いを伝えました。

歩きたい…たった1mでもいいから…右足の親指だってちょっと動かせるし、お願いします。」そう言うと先生は「もう一回歩けるように訓練しよう!ただし条件が1つある。」その条件とは「車いす生活を送れるようにする訓練をクリアしていく事!そうすれば歩く訓練を合間に組み入れる!」そういう内容でした。

単純に人の2倍はリハビリすることになる。でも迷うことなく条件を受け入れ翌日から辛い7か月が始まりました。

病室のベット上では動かせる部位の筋トレ、寝返りの練習、仰向けからの起き上がりなど自主的に訓練し、リハビリを開始して4か月くらい経過し車椅子への移乗など自分で出来ることが確実に増えてきました。

同時並行でしていた歩行訓練ではうつ伏せから四つん這いに、さらに四つん這いから膝立ちをして10m程の距離を移動する内容でした。(この訓練が一番辛かったです。)

そして、遂に…

動かせない箇所はあるもののPTの先生から「よし!立ってみよう!」と言われ恐る恐るやると「立てた…確実に自分の足で立ってる…」数秒の出来事でしたが涙が出て先生に抱きつきました。

そして勢いのまま「歩こう!」と言われ立ち上がり右足を前に出すことができ次は左足と2m程歩けました

遂に自分の足で確実に歩いた!奇跡がおきた!」その日は家族や友人にそのことを伝え色んな感情が一気にあふれ出てきました。

退院

初めて歩けた日から退院まではあっという間に過ぎていきました。

歩行器を使い病室から訓練室へ移動したり、左にこける傾向が強かったので杖を使い補助する事で歩ける距離も少しずつ伸び、最終的には50m程にまで回復しました。

そして、2009年8月31日遂に退院する事ができました。  <完>

クイーン
クイーン

ホンマに奇跡が重なって今があるんやな~!理学療法士の先生に感謝やね!

ジョーカー
ジョーカー

せやな~!ホンマに奇跡は起きるし、絶対に諦めたらアカンねやって身をもって感じたな!そして、いろんな人への感謝も忘れず生きていこうと思う!

【今回のケガを振返り私が今思うこと】

  • 何があっても絶対に諦めない!これは私の座右の銘です。
  • あの時歩きたいと気持ちを伝えていなければ今も歩けてなかったと思います。

長文をお読みいただき誠にありがとうございます。

脊髄損傷した経緯について【№3】はここまでとさせていただきます。

№3で脊髄損傷した経緯については終了となります。

今後は日常生活についてなどお伝えしていきますので、宜しくお願い致します。

コメント

  1. コウ より:

    脊髄損傷からの退院、おめでとうございます。

    転院搬送先を一つ目の医療機関にしていなくて本当に良かったですね。

    諦めずに挑戦し続ければ、医学の常識をも打ち破る。
    脊髄損傷を負った方々への励ましのメッセージと夢を与えると共に、今の医療では不可能と言われていることも「今の」ということに希望が持てる3記事でした。

    これからも、夢と希望を与えていってください。

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